ブログ

昔の方が大変だったという呪い

こんにちは、杉崎(@sugizaki_web)です。

「今の親は恵まれている」という言葉を、上の世代から投げかけられた経験ないですか?

僕はあるんですが、これについて思うところがあるので、今日はそんな内容をお伝えしていこうと。

物質的な豊かさという一点において、その指摘は事実です。確かに恵まれています。

紙おむつは進化しましたし、洗濯板は全自動洗濯乾燥機になり、ルンバが床を掃除し、ネットスーパーが食材を届けてくれる。

かつて重労働だった家事の多くは、テクノロジーによって劇的に効率化されましたからね。

疲れるようなことはないじゃないかと思うかもしれませんが、今までとは全く別のタスクが降りかかってきています。

苦労の総量が減ったわけではなく、求められる役割の質が根本から変わってるんですよね。

分業制が崩壊しつつあり、一人で全てをこなす全方位マルチタスクを強いられる時代における、僕の考えを今日はお伝えしていきます。

「便利さ」と引き換えに失われた分業と心の余裕

昭和から平成初期にかけて、多くの家庭では、夫が外で働き経済的な基盤を支える「稼ぐ人」であり、妻は家庭を守り子供を育てる「家の人」でした。

この固定的な性別役割分業には多くの弊害があり、女性の社会進出を阻んできたという負の側面も否定できません。

しかし、こと子育てに関しては、リソースを一点に集中させやすい環境だったのも事実です。

父親は長時間労働に耐えればそれで家族への責任を果たしたとみなされ、母親は家事と育児に専念することができました。

さらに、その周囲には祖父母や親戚、あるいは「お節介な近所の人」という、有償・無償のサポーターたちが重層的に存在していました。

目には見えないセーフティネットが何重にも張り巡らされ、地域というシステムが子供をなんとか育て上げてくれる。そんな余裕が社会には残されていたのです。

ところが、現代はどうでしょうか。

バブル崩壊以降の長期不況と雇用形態の変化により、夫一人の収入で家族全員を養い、将来の貯蓄まで確保できる家庭は極めて少数派となりました。

共働きはもはや自己実現のための選択肢ではなく、生存のための必須条件です。

現代の夫婦は、二人ともが「稼ぐ人」としてフルタイムで戦場に出ることを求められます。しかし、ここからが現代特有の歪みで。

「稼ぐ人」としての役割が二人分になったにもかかわらず、「家の人」としての役割は減るどころか、むしろ高度化し、複雑さを増しているのです。

現代の子育てには、かつてなかったプレッシャーがのしかかっていますから。

ブラック企業化する家庭運営

グローバル化やAIの台頭などにより、将来の予測が困難な時代において、子供にどのような教育を受けさせるべきかという「教育マネージャー」としての高度な判断が親に求められます。

習い事の選定、英語教育、プログラミング、非認知能力の育成。情報はSNSを通じて洪水のように溢れ出し、「あれもさせなきゃ、これもさせなきゃ」という焦燥感が常に親を追い立てる。

さらに、核家族化の進行により、祖父母や地域のサポートというセーフティネットは消滅しました。頼れるのは自分たちだけ。

保育園のお迎えに間に合わせるために仕事を切り上げ、分刻みのスケジュールで食事と風呂をこなし、寝かしつけの後に残った家事や持ち帰った仕事を片付ける。

つまり、現代の親たちは、フルタイムのビジネスパーソンであり、将来を見据えた教育プランナーであり、さらに家計を回すファイナンシャルプランナーでもあるという、一人で(二人で)いくつもの役割を同時に、しかも完璧にこなすことを求められているのです。

企業で言えば、営業部長と経理部長と総務部長を一人で兼任させられているようなものです。ブラック企業も真っ青ですね。

家電がどれだけ進化しようとも、この精神的なマルチタスクの負荷を減らすことはできません。

洗濯機は服を洗ってくれますが、子供の発達の悩みを聞いてはくれないし、ルンバは部屋を綺麗にしてくれますが、進路の相談には乗ってくれません。

物理的な労働時間が減った代わりに、絶え間ない決断と責任という精神的な重圧が、24時間365日、親たちの脳のリソースを食いつぶしているのが現代の親たちが抱えている悩みのタネなのです。

社会構造のバグを「親の自己責任」にするな

「昔はもっと大変だった」という言葉は、あくまで「肉体的な不便さ」を指しているに過ぎません。

正解のない教育に悩み、仕事と育児の板挟みで孤独に耐える苦労は、そもそも競技種目が違うんですよ。

マラソン選手に向かって「昔の重量挙げ選手の方が重いものを持っていた」と批判することに何の意味もないのと同じです。

社会は依然として親の自己責任論を振りかざします。

「子供を産んだのはあなたの選択でしょう」「やり繰り上手な親はもっとうまくやっている」と。しかし、構造的な問題を個人の努力や精神論で解決しようとするのは、もはや限界です。

失われた地域の繋がりや、崩壊した分業システムの代わりを、誰が、何が担うのか。行政サービスなのか、民間ビジネスなのか、あるいは新しい形のコミュニティなのか。

それを真剣に議論し、リソースを配分し直すことこそが、政治や社会に求められている喫緊の課題はずです。

だからこそ、「昔はよかった」「今は恵まれている」という不毛な比較論は、もうやめた方がいいんです。

私たちが必要としているのは、過去との比較による慰めや説教ではなく、この全方位マルチタスクという無理ゲーを、どうすれば持続可能なシステムへと書き換えられるかという、建設的で具体的な議論なのではないでしょうか。

時代が違う。前提が違う。だからこそ、苦労の質も違う。

その当たり前の事実を認め合うところからしか、次世代のための新しい社会設計は始まらないのだと思います。

働き盛りの世代の悩みや不安や問題点をいかにして解決していくか、政治家として何ができるか。草の根的な働きが続きますが、お一人お一人と向き合って地道な活動を続けていきます。

PAGE TOP