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情報を届ける努力をしない議員は確実に淘汰される

こんにちは、杉崎(@sugizaki_web)です。

議員になって三年目を迎え、定例会では必ず一般質問をしてきました。一般質問は議員活動の華ですからね。

どこの自治体でもそうだと思いますが、その質問内容は全住民に周知されるので、議員として、何を考えて、どんなことをしようとしているのかが分かってしまうわけですから、議員は一般質問の前には住民の方にヒアリングをして、役場の職員の方と話をして、資料をこねくり回して、質問に望むわけです。

ですが、たまに一般質問をしてそれで満足してる自分が見え隠れしたりするんですよね(ここは大いに反省しないといけません)。

同じような考えの議員さん、少なからずいるんじゃないでしょうか?

あるんですよ。「今回の一般質問、執行部からいい答弁を引き出せたな」みたいに思ってしまうことが。そうして議会閉会後、独りよがりな充実感に包まれて議場を後にしたり。

果たしてそれは本当に『良い質問だったのか?』市民の代表である議員として、常に振り返らなければいけません。

質問するのは当たり前の話で、議会に出席し、行政がやっていることをチェックするのも議員であるならマストでやらなければなりません。

もっとも重要なのは、それをわかりやすく住民の皆さんに伝えて、理解してもらうことですよね。

「伝えること」を放棄した議員活動は、どんなに高尚な議論をしていても、住民にとっては「何もしていない」と捉えられてしまう可能性が非常に高い。

議会で頻繁に飛び交う言葉や、目を通す文章は、普段聞きなれない馴染みのないものばかりです。

「一般会計」「補正予算」「起債」「債務負担行為」などが飛び交いますが、多くの議員はこの行政の言葉をそのまま住民に伝えようとしてしまいます。

これは、住民からすれば宇宙語を聞かされているのと同じようなもので、伝わるわけがないんですよ。

難解な言葉を、住民の方の生活にどのような変化をもたらすのかをわかりやすく噛み砕いて説明する必要がある、ということです。

  • 「債務負担行為の設定」ではなく、将来の子どもたちにツケを回さないための約束と語る。
  • 「インフラ長寿命化計画」ではなく、30年後も私たちがこの町で安心して水を飲めるための工事と語る。

翻訳というプロセスを経ない議会の情報は、住民の耳にはなかなか届きません。右から左へ流れていくだけです。

マーケティングの世界では常識ですが、「顧客(住民)は、商品のスペック(政策の詳細)には興味がなくて、その商品が自分の生活をどう良くしてくれるのか(ベネフィット)に興味がある」わけですからね。

これこそが、今の地方議員に必要不可欠なスキルだと僕は思います。

民主主義とはプロセスだ

「自分は口下手だから」「裏方として動くのが好きだから」そういって発信を疎かにする政治家を見かけることがありますが、これからの時代はそんなことも言ってられません。

民主主義とはプロセスなんですよね。

例えば、ある政策が決まった時、賛成の人もいれば反対の人もいるはずで。

反対していた人が、それでも最終的にその決定を受け入れるのはなぜかというと、それは「議論の過程が公開され、自分たちの声も検討のテーブルに乗った」という納得感があるからです。

議会の中で町の行く末を決め、結果だけを事後報告する。それは果たして民主主義と呼べるのでしょうか?

こういったことを言うと「何言ってるんだ、議会は公開されているじゃないか。誰でも傍聴できるし、議事録だってネットにアップされている」と反対意見が出てきます。

確かにおっしゃる通りです。制度上、議会は開かれています。

ですが「アクセスしようと思えばできる」というのと、情報が届いている」というのは、また別問題ですよね。

朝から晩まで働いている現役世代や、子育てに追われるお母さんが、平日の昼間に議会を傍聴できるでしょうか?

難解な専門用語が羅列された、何十ページもある議事録を貴重な休み時間にわざわざダウンロードして読むでしょうか?

誰も見ないような場所に、誰も読まないような形式で情報を置いて「公開しました」と言うのは、誰も通らない山奥に看板を立てて「告知した」と言い張るのと同じです。

住民からすれば、それは中身が見えないブラックボックスであることと、何ら変わりがないのです。

だからこそ、私たち議員が間に入って住民の皆さんに届けなければならない。

単に「可決しました」「否決しました」という結果ではなく、住民が本当に知りたいのは、その結論に至るまでのプロセスと理由です。

  • なぜ、その決断に至ったのか。
  • どんな議論があり、そこにはどんな苦渋の選択があったのか。
  • 反対意見に対して、どう向き合い、どう折り合いをつけたのか。

このプロセスを隠さず、自分の言葉で語ることではじめて、「なるほど、そこまで議論した上での決断なら仕方がない」「次はこうしてほしい」という、建設的な対話が生まれるはずです。

制度として公開されていることに甘えず、実質的に届ける努力をすること。

それこそが、情報過多の現代における、本当の意味での民主主義ではないでしょうか。

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