こんにちは、杉崎(@sugizaki_web)です。
今回は、発信について書きます。
「ブログやSNSで発信した方がいいのはわかっているけど、何を書けばいいかわからない」という状態にいる人に向けて、私なりの考えを綴っていきますね。
先に結論を言ってしまうと「何を書けばいいかわからない」という状態は、経験の不足でも、文章力の問題でもありません(もちろん才能がないからでもない)。
自分の中にあるものを整理できていないだけです。だから、何を書いたらいいのかわからない。
ですが、その「整理できていない状態」こそが、発信の入り口になります。
順を追って説明します。
「何を書けばいいかわからない」が起きる本当の理由
書けない人に共通しているのは、書く前に「完成形」を想定しようとしていることです。
- 読まれる記事を書かなければいけない
- 役に立つことを書かなければいけない
- 専門家らしい内容でなければいけない
こういう前提を持ったまま、WordPressの記事編集画面を開くから手が止まる。
なぜ止まるかというと、「完成形から逆算する」という作業は自分の評価軸ではなく他者の評価軸で書こうとしているからです。
読者が何を求めているか、どんな記事がバズるか、何が有益とみなされるか。それを先に決めようとして、自分の中から言葉を引き出す前に詰まってしまう。
これは書く力の問題ではありません。順番の問題です。
例えば、私と同業である地方議員の場合、この傾向がさらに強くなる理由があります。「活動報告しか書いてはいけない」という思い込みです。
議会に行った。委員会で質問した。住民相談を受けた。視察に参加した。こういう事実を淡々と書くことが議員の情報発信だと思っている人が多い。
でも活動報告は、読む側にとってはほとんど意味を持ちません。
「委員会に出席しました」という情報を、住民が必要としているかというとしてるわけないじゃないですか。
住民が知りたいのは、あなたがその委員会で何を感じ、何を考え、何に違和感(納得感)を持ったか、です。
それはあなたにしか書けない。でも「そんな個人的なことを書いていいのか」と思って、手が止まる。
この二重の詰まり(「完成形から逆算しようとする」「活動報告以外を書いてはいけないと思っている」)が重なって、「何を書けばいいかわからない」という状態が生まれるのではないか、と推察してます。
「わからない」は、コンテンツの在り処を示している
視点を変えてみましょう。
「何を書けばいいかわからない」という状態は、情報が足りないから起きているのではありません。むしろ逆です。
自分の中に材料がありすぎて、どこから手をつけていいかわからない状態の人が多い印象ですね。
またまた地方議員を例にとります。
議員はほぼ毎日、住民から種々様々な話を聞いているはずです。
議会では行政の答弁を聞いて、何かを感じているに決まってます。
現場を歩けば、データと睨めっこしてるだけでは得られない現実を目にしています。
委員会の議論を聞きながら、「この話には何かが抜けている」と思う瞬間があります。
はい、全てコンテンツの素材(ネタ)です。
が、素材が多すぎると「どれを記事にすべきか(まとめるべきか)」の判断がつかなくなる。
結果として、「何を書けばいいかわからない」という言葉が出てくるワケです。
つまり「わからない」という感覚は、材料の不足を示しているのではなく、材料の在り処が整理されていないことを示しています。
これは才能の欠如ではなく、棚卸しの不足に過ぎません。
私たちは日々あらゆる情報に触れていますけど、そのほとんどが言語化されないまま頭の中に蓄積されている。
脳内にストックされた情報を「書けるもの」として認識できていないから、「何もない」と感じてしまう。でも実際には書けるものだらけなんですよね。
繰り返しになりますが「何を書いていいのかわからない」という感覚は、整理が追いついていないサインです。簡単に解決できますよ。
「わからない」をそのまま書くことから始める
解決法はシンプルで「何を書けばいいかわからない」という一文から、文章を書き始めることです。
効果があるのは実証済みなので、是非やって欲しいですね。
今から10年以上前、私がブログを始めた頃、本当に全く何も文章が出てこない時期があったんですよ。
何を書けばいいかわからない。読者に何を伝えたいのかもわからない。自分が何者なのかもわからない。
そういう状態が数ヶ月続いて、どうしようもなくなって書いたのが「何を書けばいいかわからない」という一文。
すると、
- なぜわからないのか
- わからないとはどういう状態なのか
- 自分はそもそも何を伝えたくてブログを始めたのか
- 何が得意で、何が苦手で、どういうときに言葉が出てきて、どういうときに詰まるのか
と、不思議と文章が続いて、気づいた、自分の性格を振り返る日記のような記事が一本完成。「こういう記事もアリなのかもな」と妙に納得させた思い出があります。
その記事は、読まれる記事でも、バズる記事でも、役に立つ記事でもなかったですが、書いたことで自分の軸が見えてきたことは言うまでもなく。
「自分はこういうことを考えている人間なんだ」という輪郭が、書くことで浮かび上がってきたのは得難い体験でしたね。
書かないから何もわからない
自分を知ることは超重要なんですよ。
発信の軸(自分軸)は書くことで見えてくるものです。だから「軸が決まるまで書かない」という判断は逆効果。
書かないと軸なんて一生見えてきません。
そして「こんなことを書いていいのか」と迷ったものが、だいたい一番読まれます笑。
理由は単純で、それはあなたにしか書けないからです。誰でも言えること・リーチできる情報であっても「それに触れた時に自分がどう感じたか」は、自分にしか書けません。
完成形を想定してから書こうとすると手が止まる。
でも「今、自分の中にあるもの」を書き出すことから始めると、言葉は出てくるものです。
「何を書けばいいかわからない」という状態は発信をやめる理由にはなりません。
それ自体が、冒頭で述べた通り発信の入り口なんです。まず一文、書いてみてください。


