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誰かを貶めても心は満たされない

こんにちは、杉崎(@sugizaki_web)です。

先日、私の投稿に結構な数の批判コメントが届きました。「議員辞めろ」なんていう、いわゆる誹謗中傷に近いものも少なくなかったです。

それを見て真っ先に感じたのは怒りじゃなくて「ああ、なんだか可哀想な、寂しい生き方をしている人が多いんだな」という感覚。

今回はネットの荒らしの話じゃなくて、誰かを叩くことでしか自分を保てない人たちに共通する、ある「欠落」の話をしていこうと思います。

ネットっていうのは、殴り返される心配のない安全圏ですよね。

そこから匿名という盾に隠れて、気に入らない相手に石を投げつける。相手を貶めることで、一瞬だけ自分が上の立場に立ったようなインスタントな優越感に浸る。

でも、それは結局、喉の渇きを塩水で潤そうとしているようなものなんですよね。飲めば飲むほど、もっと心が乾いていく。

そうやって、自分の貴重な時間や品性をドブに捨てていることに気づいていない。これ、あまりにも虚しいことだと思いませんか?

画面の向こうにいるのは、あなたと同じように、日々の生活に悩み、喜び、時に涙を流しながら懸命に生きている「一人の人間」です。

この、あまりにも当たり前の事実を想像できるかどうか。それが、人間としての品格であり成熟度そのものだと思うんです。

批判にエネルギーを注ぐ人たちは、無意識に「自分の人生」から逃げています。

他人のアラ探しをしている間は、自分の不甲斐なさに向き合わなくて済むからです。

でも、結果を出している人や、人生を楽しんでいる人は、そんなことに1秒も使いません。

その熱量を、自分を成長させることや、目の前の大切な人を幸せにすることに全振りしている。

時代がどれほど変わり、社会の常識が歪んだとしても、他者への思いやりの価値は絶対に変わりません。

顔が見えない世界だからこそ、あえて温かな言葉を紡げる人でありたい。僕はそう思います。

結局、人生は「何を言ったか」ではなく「どう生きたか」です。

他人の物語のヤジを飛ばす観客席から降りて、自分自身の人生という物語を、どう豊かに描ききるか。

そこに集中する勇気を持つこと。それこそが、本当の意味での賢さであり豊かさであり、何ものにも揺るがされない心の平穏に繋がっていくはずです。

誰かを叩いて一瞬の快感を得る生き方か。それとも、自分を磨き、誰かを笑顔にする生き方か。

あなたは、どちらの人生を歩みたいですか?

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