こんにちは、杉崎(@sugizaki_web)です。
議員という仕事をしていると、毎日のように「もっと〇〇して欲しい」「△△について困ってる。どうにかならないのか」という声が届きます。
もちろん、そういった声の全てを、出来ることなら拾い上げて反映させたいという気持ちはありますし、行政の元に住民の皆さんの声を届けることが議員としての仕事の一つでもあります。
ですが、あらゆる課題を行政に投げることは、結果として自分たちの首を絞めることになるんじゃないか?と最近思ってるんですよね。
「高い税金を払っているんだから、ゴミ拾いも、街路樹の落ち葉掃除も、近隣の揉め事も、すべて行政が解決するのが当たり前だ」と考えてる人がいて、これは中々危うい思考だなと。
だって、裏を返せば「自分は税金という会費を払っている『客』だ」という感覚に陥っているということですから。
市民の顧客化が招く自治体の崩壊
市民の顧客化が進んだ結果、何が起きるかと言えば、自治体はどうにも立ち行かなくなります。
自治体の予算(税収)と人員には、数学的な限界があり、本来は隣近所で話し合えば解決するようなトラブルにまで行政のリソースを割けば、本来注力すべきインフラ整備、防災、そして次世代を担う子供たちの教育予算が物理的に削られていくのは目に見えてますよね。
「誰かがやってくれる」という他力本願な姿勢が定着すればするほど、自分たちで社会を改善しようとするエネルギーは失われていく。
ゆえに、自治体としての基礎体力が奪われていく、という訳です。
政治は社会の土台(ルールやインフラ)を整える役割を持っていますが、そこに過度な期待や依存を寄せてしまうことには、大きなリスクがありますよね。
「国や自治体が何とかしてくれる」という思考が強まると、自分たちで工夫して現状を打破しようとするエネルギーが削がれてしまいます。
政治は合意形成を重んじるため、どうしても変化に時間がかかります。個人の生活やビジネスのスピード感で政治を待っていると、チャンスを逃すことになりかねません。
それに、政策は選挙や情勢一つで180度変わることがある。他者がコントロールする仕組みに100%依存するのは、リスクマネジメントの観点からも危ういです。
誤解を恐れずに言えば、すべてを政治に委ねるということは、自分の人生の決定権を他人に売り渡しているのと同じなんですよ。
依存は思考を停止させます。「政治が悪い」と言っている間は、自分の生活が上手くいかない理由を外に押し付けることができ、一時的な安心は得られるかもしれません。
しかし、その代償として「自分の力で環境を変える」という誇りと自由を失っていることに気づくべきで。
政治をツールとして使いこなす自走の哲学
そろそろ「公(おおやけ)」の意味を再定義しないといけないのでは?と思います。
「公=行政にお任せ」ではなく、自分たちの手で解決する自助、地域で助け合う共助のレイヤーを自分たちの手に取り戻さないといけませんよね。
町の主役は、その町に生きる住民一人一人ですから、皆さんそれぞれが「自分の町だ、町で起きてることは自分に関係のあることだ」という意識を強く持たなきゃなりません。
もちろん、私たち政治家も変わる必要がある。
単なる便利屋や御用聞きとして振る舞うのではなく、「その問題は皆で解決しましょう」と伝え、人々の創意工夫を支える伴走者へと進化する必要があります。
限りある資源を、真に支援が必要な人たちや未来の投資へと集中させるために、「政治に何をしてもらうか」という問いを捨て、「自分たちの町をどう守り、どう設計するか」という主体的な問いを立て直すべきだと私は考えていますが、あなたはどう思いますか?
自律した個人の集合体こそが、どんな逆境にも負けない強靭な町(コミュニティ)を作ります。
政治を批判する前に、まずは自分の足元から、社会との関わり方をリブートすること。それが、真に自由で豊かな人生を取り戻すためのキーポイントになるはずです。
理想的なのは、政治や制度を便利なツールとして賢く利用しながらも、自分の人生やビジネスのハンドルは自分で握り続けるというハイブリッドな姿勢ではないでしょうか。
制度を理解して使えるものは使う。 制度の外側で、自分たちの力で稼ぐ・動く仕組みを作る。
こうした「自立した個」が増えることこそが、結果として政治を健全に機能させることにも繋がるはずです。






