こんにちは、杉崎(@sugizaki_web)です。
先日Threadsでふと、こんな投稿が流れてきたんですよね。
「市議会議員って何をしているかわからないから、いっそ人数を減らした方がいい」という率直な意見は、多くの有権者が抱く本音だと思います。健全な疑問ですよね。
「議員が何をしているかわからない」という現象は、単なる住民側の関心不足として片付けられる問題ではありません。
それは議会と住民の間に横たわる、深く構造的なコミュニケーションの機能不全から引き起こされていると私は考えているので、今日はその辺りの話をしていきます。
「何をしているかわからない」の正体
まず、前提として『わからない』には二つの意味があると思います。
本当に何をしているかわからない(発信不足・広報が難解)パターン
一つ目は、本当に何をしているのかわからないパターン。
議会だよりなどの広報誌が発行されていても、行政用語が並んでいたり、単なる議事録の要約になっていたりすると、読者には到底響きませんよね。
「何をしているかわからない」という問題の根底には、議会という組織が抱える古い情報開示の体質があります。
議員たちは決して、選挙が終わった途端に全員が何もしていないわけではありません。
実際には、市の予算案に目を通し、教育や福祉などの専門的な委員会で議論を交わし、行政の担当者と水面下で折衝を行うなど、地味で根気のいる裏方作業に多くの時間を費やしています。
しかし、問題はその「結果」の伝え方にあります。
彼らの活動を外部に伝える数少ない公式な手段である「議会だより」などの広報誌は、その大半が住民との対話ツールではなく、単なる議事録の要約として機能してしまっています。
行政特有の用語が並び、誰がどのような意図で発言したのかという熱量が完全に削ぎ落とされてますので、読み手である市民への配慮が決定的に欠如してるんですよね。
全国の様々な意識調査やメディアのアンケート調査を紐解いてみても、「地方議会や議員に対して親しみを感じない」「活動内容を知らない」と回答する層は、常に七割から八割という圧倒的な多数を占めています。
このデータは、現状の発信方法が完全に破綻していることを証明していると思います。
住民が「自分の生活にどう関わるのか」を理解できなければ結局わからないわけですから、発信していないのと同義ということです。
一方的な報告ではなく、たとえば住民のリアルな声を拾うインタビューを取り入れるなど、読み手の目線に立った広報の改革が必要な部分ですね。
発信内容とニーズのミスマッチ(独りよがりな発信)パターン
議員側は「〇〇の行事に参加しました」「〇〇委員会で発言しました」といった事実(自分が言いたいこと)を発信しがちです。
が、住民が求めているのは「教育や子育ての課題がどう解決に向かっているのか」「町の不便な交通事情がどう変わるのか」といった、自分たちの生活課題に対する具体的なアクションと結果だったりしますよね。
最近ではSNSのアカウントを持ち、積極的に日々の活動を投稿する議員も増えましたが、タイムラインに流れてくるのは「今日は〇〇地区の敬老会でご挨拶をさせていただきました」「〇〇先生の激励会に参加しました」「綺麗な夕焼けですね」といった、個人的な活動報告や日記ばかりです。
議員本人は「自分はこんなに汗をかいて動いている」とアピールしているつもりでも、これらは住民の生活における痛みや悩みとは、残念ながら一切リンクしていません。
例えば、地方都市において深刻化している人口流出の問題を考えてみましょう。
実際のデータや住民の声を丁寧に拾い上げていくと、若い子育て世代が町外へ転出してしまう理由の一つに「子どもの習い事や部活動のための送迎負担」が挙げられることが少なくありません。
共働き世帯にとって、公共交通機関が乏しい地域での日々の送迎は、文字通り生活を破綻させかねない切実な痛みですからね。
住民が真に求めているのは、こうした自分たちの生活を脅かす具体的な課題に対して、政治がどのような解決策を提示してくれるのかという一点に尽きます。
「子どもたちの活動を支援するための送迎バスの運行実現に向けて、現在市長とこのような交渉を行っている」といったプロセスや結果の発信であれば、子育て世代は食い入るようにその情報を追うはずです。
それにもかかわらず、議員が自分の参加した式典の写真を誇らしげにアップロードし続けている状況は、全く的を得ていないことがよく分かるはずです。
ニーズを捉えていない発信は、誰の耳にも届きません。
「自分たちが知りたいのは〇〇といった情報なのに、この議員は全く見当違いな情報ばかり発信する。一体何をしてるんだ?何をしているのか全くわからない」と結論づけるのも無理はありませんね。
政治にマーケティングを
一生懸命に情報発信をしている政治家と、その情報の受け手である有権者のすれ違いを解消し、「議員を減らせ」という声に正面から応えるためには、政治家自身がマーケティング思考をインストールする以外に道はありません。
それはつまり、主語を「私(議員)」から「あなた(住民)」へと完全に転換させるということです。
自分が何を言いたいかではなく、住民が今、何に困っていて、どのような情報を必要としているのかを徹底的にリサーチし、そこに対して的確な解決策を提示していく。
このビジネスにおける当たり前のプロセスを、政治のコミュニケーション戦略の中核に据える必要があります。
具体的なアクションとして、先ほど触れた「読まれない広報誌」の改革などは、効果的な第一歩となり得ます。
ただ議案の賛否を載せるのではなく、実際に町で暮らす住民へのインタビューを企画のメインに据えたらどうでしょうか(我が議会でもそのような動きができつつあります)。
子育てと仕事の両立に悩む親御さんや、教育環境に不安を抱える移住者の方の生々しい声をそのまま掲載し、その声に対して議会がどう動こうとしているのかをセットで提示する。
住民自身の顔と声というフィルターを通すことで、難解だった行政の課題は、突然「自分ごと」としてのリアルな熱を帯びて読者の心に突き刺さるはずです。
これは単なる広報の小手先のテクニックではなく、政治の目的が住民の課題解決にあるという原点に立ち返るためのアプローチです。
「市議会議員なんて減らしてしまえ」という市民の諦めと怒りの混じった声は、政治に対する期待の裏返しでもあります。
まだ救いがあると個人的には思っています。
生活を良くしてくれる実感がないからこそ、せめて税金の無駄遣いであるコスト(議員報酬)をカットしてほしいという考えも理解できます(合理的な消費者心理の表れですよね)。
議員側がこの事実から目を背け、「自分たちは裏で頑張っているのに理解されない」と拗ねているうちは、定数削減の圧力は強まる一方でしょう。
政治家は住民の痛みをマーケティング的な視点で分析し、その解決のロードマップを分かりやすい言葉で提示する「地域の優秀なコンサルタント」へと進化する必要がある。
その変革を成し遂げた時、初めて市議会議員は「何をしているかわからない人」から、「私たちの生活になくてはならないプロフェッショナル」へと、その存在意義を劇的にアップデートさせることができるはずです。






