こんにちは、杉崎(@sugizaki_web)です。
内閣府が実施している「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」によると、「自分が政治に参画することにより、国や社会の現象が少しでも変えられるかもしれない」と答える日本の若者は、他国(欧米諸国などで50〜70%台)と比較して突出して低く、30%前後に留まっているそうです。
また、総務省が発表する選挙の投票率データを見ると、国政選挙はもちろん、住民に最も身近なはずの統一地方選挙においてすら、投票率は長期的な下落傾向にあり、地方の町村議会選挙では50%を割り込む地域も珍しくありません。
これらのデータが示しているのは「自分がアクションを起こしても政治や社会は変わらない」という、学習性無力感です。
賢い人ほど、費用対効果の合わない政治への過度な期待をやめ、自分の生活を自力で防衛することにリソースを割いているのが現実ということですね。
「政治家に期待しない」というスタンスは、感情的な反発というよりも、過去の経験則に基づくリスク回避の思考に近い。
選挙のたびに耳障りの良い公約が掲げられるものの、実生活が大きく好転する実感は乏しく、時には不祥事や党利党略に終始する姿を見せつけられる。
こうしたサイクルを繰り返せば、学習能力の高い人(=賢い人)ほど「政治家に過度な期待を寄せることは、バカバカしい非合理的な行為だ」と判断するのは当然です。
無関心という名の全権委任
しかし、私たちが政治に期待しようがしまいが、稼いだお金は税金として徴収され、その使い道は「期待されていない政治家たち」によって決定され続けるという事実にも着目すべきで。
具体例を挙げてみましょう。
日々忙しく働き、政治に期待していない現役世代が「どうせ変わらない」と投票に出向かないと決めたとします。
すると政治家は、選挙で確実に自分に票を入れてくれる特定の組織や、声の大きな一部の利益団体の要望を優先するようになります。
その結果、本来であれば未来への投資として最優先されるべき「子育て支援」「教育環境の充実」「移住定住の促進」といった分野の予算が削られ、費用対効果の不明確な旧態依然とした事業に税金が流れていく可能性は高くなる。
つまりですよ、「政治家には期待しないから、勝手にやってくれ」と背を向けることは「政治家が何をしても文句は言いません(全権を委任します)」という意思表示として機能してしまうということです。
監視の目を失ったシステムは必ず腐敗し、非効率化します。
結果的に、保育園に入れない、教育の質が低下する、地域の活力が失われて自分のビジネスや生活環境が悪化するといった形で、私たち自身に物理的な代償となって跳ね返ってくるわけです。
期待しないことは個人の自由ですが、その意思決定権まで手放してしまうことは、結果として最も非合理なコストを払わされることに繋がってしまうんです。
政治家はドライに使い倒せ
では、「政治家は信じられない」、しかし「放置すれば自分たちが損をする」というジレンマの中で、私たちはどのような論理を構築すべきでしょうか。
その答えは、政治家に対する認識のパラダイムシフト、すなわち「信じる・期待する対象」から、「監視し、使い倒すためのツール」へと位置付けを変えることではないかと思います。
民間で例えるとわかりやすいと思うのですが、経営者は、従業員に対して盲目的な期待をしないじゃないですか。
その代わりに、明確な目標を与え、実績を数値化し、定期的に評価を行いますよね。
市民と政治家の関係も、本来これと同じドライなものであるべきでもいいと思っていて。
政治家を、私たちの生活課題を解決するために一時的に権限を委任したエージェントとして扱うんですよ。
具体的には、政治家が「情報を分かりやすく開示しているか」と「有権者と双方向のコミュニケーションを取っているか」。この2つの仕事ができない議員は、住民の代理人として「使えない(=雇う価値がない)」と切り捨てていい。
「政治家が立派な志を持っているかどうか」なんていう曖昧なもので判断するのはやめましょう。
というか立派な志があるなら、情報発信しますから絶対に。
「私は住民のために頑張っています!」と言葉で言うのは簡単ですが、それを証明できるのは「何を変えようとし、どう動いたか」というプロセスの開示ですからね。
「自分が何を考えているか知ってほしい」「判断材料を提供したい」と考え、自然と発信が増えるに決まってるんですよ。
ちと話が脱線してしまいましたが、政治家を無条件に信じ、寄りかかる必要は全くありません。
ですが、政治家に対する真に賢いアプローチとは、期待しないからと見限るのではなく、感情を排して彼らの仕事ぶりを査定し、自分たちの生活(教育、子育て、ビジネス環境)を良くするために、彼らが持つ権限や仕組みを「どう都合よく使い倒すか」を考え抜くことではないでしょうか。
これこそが、現代における最も現実的で、有効な政治との関わり方なのだと思います。






