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自分が望んだ通りの政治しか手に入らない

こんにちは、杉崎(@sugizaki_web)です。

自分が住んでいる町の代表者(代弁者)として、どんな政治家を選ぶのかは大事なことだと思います。

そもそも政治家に期待していない、誰が政治家をやってるのかわからないという方も居られるでしょうが、今回は一旦脇に置いておきましょう笑

政治家というのは、その地域に住む人が自らの意思で選ぶものです。

「あなたにお願いしたい」「頑張ってほしい」と、そんな気持ちから選出されて、投票していただき、晴れて議員としての地位に与れるわけです。

ということは、投票行動には、住民一人一人の想いが如実に表れるということ。

「町のことを一生懸命前に進めてくれるのは彼(彼女)しかいない」そんな気持ちで票を投じる人もいれば、「アイツが議員になるのは気に食わないから、とにかく別の人に入れよう」という人もいるでしょう。

民主主義における選挙制度は、最大公約数的な民意を抽出するシステムですよね。

すると、もし有権者が、目先の利益や私情、地縁・血縁によるしがらみを優先して一票を投じるならば、選ばれる政治家もその通りになる。

政治家の質を嘆くことは、巡り巡って私たち自身の選択のものさしを否定することに他なりません。

つまりは「政治が悪い」と切り捨てるのは簡単ですが、その政治家を議場へ送り出したのは、他ならぬその地域の人達なわけですよ。

民主主義とは、突き詰めれば「自分たちが望んだ通りの政治しか手に入らない」という、極めてフェアなシステム。

だからこそ、私たちが一票を投じる際、そこに「未来への投資」という視点があるのか、それとも「過去のしがらみ」しかないのかを、自分の胸に手を当てて聞かないとなりません。

各個人の、そう言ったリマインドが数年後の町の景色を決めることになりますからね。

政治家を選ぶ基準を変える

私たちはどうも政治家に「清廉潔白」や「万能な解決策」という幻想を抱きがちですが、有り得ませんよ。政治家だって人です。

立候補して当選するまでは、どこにでもいるただの人で、政治家になったからといって完璧な人間になるわけじゃない。

一般の市民の方と同じように弱さを抱え、迷い、時には誘惑に駆られる一人の人間です。

そんな不完全な人間たちの中から、誰にこの町の舵取りを託すのか。それは、単に名前を書き込むだけの事務作業ではなく、「自分たちがどのような価値基準で生きていくのか」という意思表明そのものです。

繰り返しになりますが、もし、有権者が「目先の1万円」や「誰それとの義理」という低い解像度で一票を投じるなら、選ばれる政治家もまた、目先の損得と調整に終始する小役人に成り下がります。

それは、私たちが「その程度の政治」を望んだという結果に他なりません。

選択の基準を「誰かの顔色」から「町の未来」へとズラすことが本当に大事なんですよね。

もちろん言葉で言うほど簡単ではないですよ。

地縁を断ったり、時には空気を読まない勇気が求められます。しかし、その決断の集積こそが、政治の土壌を反転させる力を持つわけです。

土壌が肥沃になれば、そこに蒔かれる種(候補者)も変わります。

最初は小さな芽であっても、有権者がその成長を見守り、育てる土壌を持ち合わせているならば、それはやがて大きなうねりとなり、停滞した町を劇的に塗り替えていくでしょう。

私たちが「理想の解像度」を上げ、自分の足で立ち、自分の言葉で未来を選択して初めて、政治は遠い世界の出来事じゃなくなると思います。

いい人なんてもう要らない

政治家とは住民が自分たちの理想を実現するために雇い入れた「行政という複雑なシステムを動かすための窓口」に過ぎません。

これまでの選挙が「好き嫌い」や「お付き合い」という情緒的な基準で動いてきたのだとしたら、これからはもっとドライに「この政治家は、自分の望む未来を実装できる力を持っているか?」という機能性で選ぶべきです。

  • 複雑な利害関係を紐解く論理的思考力があるか
  • 現場の声を吸い上げ、言語化して議場に届ける編集力があるか
  • 過去の慣習に囚われず、新しい技術や考え方を取り入れる柔軟性があるか

「いい人だから」という基準で政治家を選ぶ時代は、もうとっくに終わってます。

有権者がプロの目線で政治家を品定めし始めたとき、政治家側もまた、情緒に訴えるパフォーマンスではなく、実行力で競い合うようになるはずです。

そんな時代を妄想しつつ、本日のブログを締めます。たまにはこんな終わり方もアリですかね笑

ご覧いただきありがとうございました!

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