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選挙で名前を叫ぶのはそろそろ終わりにしたほうがいい

こんにちは、杉崎(@sugizaki_web)です。

日本の選挙って、不思議だと思いません?

選挙の時期になると、駅前で候補者が喉を枯らして叫んでいたり、住宅街をゆっくり走る選挙カーから名前が連呼されてたりして、そんな風景を見て「あぁ選挙やってるんだな」とごく自然に受け入れてますけど、冷静に考えるとおかしいくないですか。

政治の話は?と疑問が湧いてくるのは私だけですかね。

今の日本の選挙スタイルは、政策を選ぶ(政策で人を選ぶ)場じゃなくて、ただの知名度バトルになってしまってるのでは?とそう思うんですよ。

まず考えてみてほしいのが「名前の連呼」。

心理学には単純接触効果という言葉があって、中身がどうあれ、何度も目にしたり耳にしたりするだけで、なんとなくその人に親近感を持ってしまいます。

選挙は、この仕組みをフル活用した印象操作の掛け合いになってる。

町中で名前を叫び続けるのは、政策を理解してもらうためじゃなく、投票用紙に書く瞬間に「あ、この名前知ってる」と思わせる戦略ですし、実物とは別人のように加工された写真や、耳あたりのいいスローガンは、中身を見ずにパッケージの派手さだけで商品を選ぶようなもので。

とてもじゃないけど健全とは言えない。

結局、この「知名度ゲーム」が得意な人や、地盤があって、人やお金のリソースがあって名前を売りまくれる人が選挙に勝ってしまう。

これでは、良い政策を持っている人や町の発展を真剣に願う人が、日の目を見るのは至難の業ですよ。

「いやいや、選挙カーや街頭演説は市民と直接触れ合う大事な場でしょ。候補者と話せる機会もあるよ」という意見もあるかもしれませんが、実際のところはどうでしょう。

雑踏の中で、限られた時間内での演説。

その中で、子育て支援や、新しいバイパス道路の話、駅前の空き店舗対策、高齢者の交通手段を深く議論することなんて物理的に無理がある。

候補者が拡声器で一方的に喋るだけで、有権者との深い対話なんて生まれっこないんですよ。

短い時間で顔と名前を覚えてもらったり、惹きつけるには、どうしても「一生懸命やります!」「皆さんの声を聴きます!」みたいな、中身がスカスカでも勢いだけはある言葉に頼らざるを得ないというわけです。

本来、私たちが政治家に求めているのは、大きな声を出すことじゃなくて、複雑な課題を解き明かす知性や、批判されても逃げない誠実さのはず。

今の選挙スタイル(選挙カー・街頭演説)は、そうした政治家としての本当の資質を、逆に見えにくくさせてると思います。

じゃあ、どうすれば政策本位のまっとうな選挙になるのか。

答えはシンプルで、今の古いやり方から徐々にフェードアウトして、デジタルと議論をセットにした形に切り替えることです。

具体的には、候補者が一堂に会して議論する「公開討論」を義務化する、とかですね。

そこで例えば、対立候補や、集まった人たち様々な意見や質問を募り、その場で答えてもらうと。

有権者は討論の内容を見て、誰が本当に信頼できるかを判断できるし、その様子をSNSやYouTubeにアップすれば、いつでもどこでも自分の好きなタイミングで見返せますし、専門家がファクトチェックすることもできる。

「あの時こう言ったよね?」という記録が残るから、政治家もいい加減なことは言えなくなりますしね。

選挙カーのガソリン代や、ポスター貼りの人件費を、こういう質の高い討論を届けるための仕組み作りに回せば、日本の民主主義はもっとクリアで、もっと納得感のあるものに変わるはずです。

純粋に「今の選挙、効率も質も悪いから変えていこう」という視点を持つことが大事だと思いますが、あなたはどうでしょうか?

名前を連呼されるから選ぶのではなく、その人の考えに納得したから一票を投じる。

そんな当たり前のことが、当たり前にできる社会。それを作るためには、もう街角で叫ぶだけの古いスタイルは、卒業してもいい頃です。

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