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子供を地元の町の学校に入れるのが正解なのか

こんにちは、杉崎(@sugizaki_web)です。

本日は町立の中学校の卒業式に来賓として、招待されたので行ってきました。卒業生は32名。

何人か知っている生徒もいたので若干涙腺がヤバかったのですが、なんとか切り抜けることができました..

まぁそれはいいとして、32名という数字。やはり生徒数が少ないなと感じたんですよね。

私は横浜の中高一貫校を卒業してるんですが、一学年の生徒数は160人。

それと比べると、20年以上前の話で、当時より少子高齢化は進んでるといえども、32名は少ないよなと。

160人の同期と揉まれ、多様な価値観にさらされた15歳の自分と、今日32人の同期とともに中学校を巣立っていった15歳。

もちろん人数の多寡が教育の質をすべて決めるわけではありません。一人ひとりに目が届く良さも、家族のような絆も、確かに存在しますから良いところも沢山あるはず。

けれど、親としての私は、どうしても「その先」を案じてしまいます。

世界は広く、複雑で、目まぐるしく変化し続けている今。この温かい32人のコミュニティだけで、彼らが「夢と希望をもって生き抜く力」を蓄えられたのか。その問いに対する確信が正直持てないでいて。

というのも、この少人数で固定された環境は、裏を返せば「人間関係の流動性に乏しい」という状況でもあるからです。

生徒が160人いれば、そこにはいくつもの小さなコミュニティが点在しています。

気の合うグループもあれば、自分とは全く肌の合わない集団もある。あるグループで上手くいかなくても、少し離れた場所に別の居場所を見つけることができる。

その「適切な距離感を選べる」という流動性こそが、多様な他者との距離の取り方を学ぶ訓練になっていたように思うのです。

しかし、32人の環境では、その「距離」を置くことが物理的にも心理的にも容易ではありません。

一度固定された人間関係や自分の立ち位置が、良くも悪くも卒業までずっと続いていく。外の世界を知る機会や、自分とは全く異なる価値観に触れるチャンスが限定されてしまうのでは?と考えてしまうんですよね。

一見、穏やかな環境に見えるかもしれませんが、別のコミュニティへ逃げる選択肢がないまま、顔ぶれの変わらない狭い世界に適応し続けるしかない。

議員として「移住してきてください」と呼びかける一方で、一人の父親として、10年後にこの環境へ飛び込む我が子の姿を想像したとき、「ここは最高の環境だ」と、自信を持って言い切れるだろうか?とジレンマがあります。

都会の160人の中で揉まれる経験を、この町の32人の環境でどう補完し、あるいは凌駕していくか。

オンラインを活用して世界中の多様な価値観に触れ、自分とは全く違う生き方を知るという、解らしきものはあります。

地方という枠組みに子供たちの可能性を閉じ込めるのではなく、ここを拠点に世界へと翼を広げられるような、そんな「開かれた教育」の形を模索する他ない、というのが今の自分の結論です。

都市部の激しい競争に身を置き、高学歴を手に入れても、メンタルを病んでしまう若者が後を絶ちません。

一方で、地方の穏やかな環境で育ち、郷土愛を持って生きる若者が、変化の激しいこれからの時代を生き抜く強さやレジリエンスを持てるのかという不安もある。

なんだか、暗闇の中を歩いているような感覚なんですよ。

  • 都会の競争を再現すべきなのか。
  • 地方の共生に全振りすべきなのか。
  • あるいは、その中間を綱渡りするように歩むべきなのか。

正解のない問いに、どのように立ち向かうべきなのか。32人の卒業生の後ろ姿を見ながら、考えた一日でした(終始まとまりの無いブログですみません)。

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